福祉国家

 福祉国家には統一された定義はないものの、おおよそとしては、国が実施する医療や所得、雇用などの社会保障政策を用いて、資本主義によって生み出された貧困などの社会的問題に対処し、人々の安定した生活を目指す国家をいう。また、国の支出に占める社会保障費の割合が高い国を指して福祉国家と呼ぶ場合もある。その意味において代表的な福祉国家としては、スウェーデンなどの北欧諸国があげられる。福祉国家の言葉は、第2次世界大戦において、イギリスが対戦国であるドイツを戦争国家(warfare state)と呼び、それをもじる形で連合国が目指す国を福祉国家としたことにより、広く使用されるようになったといわれている。イギリスは、第2次世界大戦中に戦後のあるべき社会保障政策を検討し、1942年に「社会保険および関連サービス」の報告書を発表した。この報告書は、委員長であったBeveridge, W.H.(べヴァリッジ)の名前を用いて、べヴァリッジ報告と呼ばれることもある。べヴァリッジ報告では、国が責任をもって対処すべき悪として、貧困・無知・不潔・失業・疾病をあげており、これらには社会保険を中心とした社会保障政策が必要だと提言した。また、国が全国民を対象として必要最低限度の生活を保障するナショナル・ミニマムや児童手当制度、完全雇用政策を通した失業の解消なども唱えており、戦後に「ゆりかごから墓場まで」といわれる拡充された社会保障政策の基礎となった。戦後のイギリスは、国民保険法や国民保険サービス法、国民扶助法などを成立させ、典型的な福祉国家の1つとして捉えられるようになった。しかしながら、1973年に第1次オイルショックが起こり、世界経済が停滞するなか、イギリスも財政難に陥り、新たな方法によって経済回復を目指したサッチャー政権が成立した。サッチャー政権では、財政再建のために、社会保障政策費への支出は厳しく制限され、今までの拡充された社会保障体制の抜本的な見直しが行われるようになった。このような社会保障の縮小は、アメリカやイギリスにおいて実施され、福祉国家のあり方をめぐって政治的な対立がみられるようになり、福祉国家の危機といわれた。これ以後、福祉国家は多様性をみせるようになり、福祉国家の形成過程や分類方法などを研究する福祉国家論が活発に行われるようになった。また、福祉国家論を発展させた福祉レジーム論も展開されるようになり、代表的な論者としてデンマーク出身の社会学者である、Andersen, G.E(. アンデルセン)があげられる。
(酒井美和)