小さな政府

 財政規模の小さな政府を志向する形態を小さな政府という。小さな政府の起源は、17〜18世紀にヨーロッパで絶対王政を倒した市民革命に端を発する。このなかで、国家介入に対する自由な市場原理の優位を説いた経済的な自由放任主義(レッセフェール)の考えが台頭した。これは、Smith, A.( スミス)の国富論にみられる市場優位主義であり、「見えざる手」によって結果的に社会に恩恵をもたらすという考えであり、政府の介入は最小限が好ましく、国防、治安維持等に限定した「夜警国家」の考えに結びついた。特に19世紀の英米において自由主義や小さな政府が実現したのは、経済的先進性、絶対王政の打倒といった特殊な背景に基づいていたともいえる。これに対して、20世紀に入って国民への社会福祉や教育等のサービスを国家が保障する「福祉国家」の概念が台頭した。イギリスにおいて1942年に出されたベヴァリッジ報告は、福祉国家の概念を示し、「ゆりかごから墓場まで」という標語で代表される。一方、経済学からは、Keynes, J. M. (ケインズ)が政府の財政支出による有効需要の重要性を説き、大きな政府の考え方のバックボーンともなった。資本主義陣営における福祉国家の概念は、1917年のロシア革命とその後の冷戦構造のなかで、共産主義陣営に対抗する意味合いもあった。しかしながら、2度のオイルショックにより、資本主義陣営は不況に陥り、ケインズ政策は必ずしも有効に機能せず、政府活動の膨張に対する批判が出てくるようになる。そこで登場するのが、イギリスにおけるサッチャー首相、アメリカにおけるレーガン大統領であり、政府支出の削減と減税によって経済の活性化を図った。その理論的バックボーンになったのが政治的には「政府の失敗」を根拠とする「新自由主義」であり、経済学的には「新古典派経済学」である。日本においては、政府財政が悪化した1980年代の中曽根康弘首相による行政改革と国鉄等の民営化等による政府支出の削減である。その後、バブル経済の崩壊による経済情勢の悪化による1990年代後半からの橋本龍太郎首相、小泉純一郎首相の行政改革路線は小さな政府を指向した。ただし、政府支出のGDP比はOECD加盟国の間でも低い方であり、日本は、現在においても「小さな政府」に位置づけられる。もっとも、高齢化に伴う医療・介護費等の財政の増大はすすんでおり、今後どのような方向性をとるかが課題となっている。
(金川幸司)