多文化共生

 国籍や民族など属性の異なる人々が、互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員としてともに生きていくことをいう(2018年総務省「多文化共生の推進に関する研究会報告書」の定義)。近時の日本社会においては、在住外国人を社会の構成員として捉え、多様な国籍や民族などの背景をもつ人々が、ともにそれぞれの文化的アイデンティティーを発揮しながら生活できる社会が目指されている。 かつて、1970年代までの在住外国人は、戦前から日本に居住していた外国人でサンフランシスコ平和条約により日本国籍を失い特別永住者として住んでいる韓国・朝鮮人、台湾人が大半を占めていた。その後90年代の入管法改正によって、「定住者」の在留資格が創設され、日系3世まで、一部の例外を除き就労可能な地位が与えられた。これはバブル景気の人手不足を背景に、外国人労働者の受け入れを望む日本の経済界の意向を受けたものであった。これにより、おもに日系南米人、とりわけ日系ブラジル人の受け入れ拡大とアジアを中心とする技能実習生など、いわゆるニューカマーと呼ばれる人々が著しく増加した。このような経過のなかで、外国人住民が増大した地方都市では、外国人住民の抱える課題の解決や生活支援とともに、地域社会の構成員として社会参画を促す仕組みづくりがすすみはじめた。多文化共生という用語の起源は神奈川県川崎市において70年代から市営住宅入居に国籍制限をなくすなどの施策がとられ、その後も市民による外国人住民支援の活動も展開されるなか、次第に「多文化共生」の用語が用いられ広がっていった。  このように外国人住民が増大するなか、日本各地で多文化共生社会実現を目指す活動を行う市民活動団体が多く誕生してきた。また、阪神・淡路大震災(平成7[1995]年1月17日)の被災から復興への過程で、被災した外国人へ情報提供を行っていた「外国人地震情報センター」が外国人だけでなく、社会的に排除されがちな人々も含め、およそ地域に暮らすすべての人が理解し合い支え合う多文化共生社会の実現を目指して「多文化共生センター」と改称して大阪、兵庫、京都、広島、東京などで活動を展開するなど、多文化共生を特に目的として掲げた団体が全国的に広がっている。
(三木秀夫)