第三セクター

 政府または地方公共団体(第一セクター)が民間企業(第二セクター)と共同出資してで行う事業組織体(法人)を指し、略して「三セク」という。第三セクターについての定まった概念や定義、あるいは法令の規定はない。官民という事業組織体の視点から、古くは明治時代の富国強兵や殖産興業の国策であった南満州鉄道株式会社(明治39[1906]年設立)や横浜正金銀行(明治13[1880]年開業)等が代表としてあげられる。現在、国が資本金の2分の1以上出資している法人数は、日本銀行、新関西国際空港株式会社等212ある。第三セクターが社会で定着し始めた発端は、「新全国総合開発計画について」(昭和44[1969]年)の閣議決定である。そこに「大規模開発プロジェクトの実施主体について、資金の調達、事業の実施等の面で効率的推進が図られる組織とする必要がある。(中略)プロジェクトの中核的な事業の実施主体として公共・民間の混合方式による新たな事業主体を創設して民間資金の導入を図る方式、進出予定の民間が共同して設立した新会社による方式、これに民間デベロッパーの参加を求める方式等大規模開発プロジェクトの内容に適合した方式を検討する。」とある。この流れを受けて「経済社会基本計画」(昭和48[1973]年)に公式文書としてはじめて第三セクターという用語が登場する。「社会資本を緊急に整備する必要があり(中略)社会資本分野への進出が高まりつつあることと等かんがみ(中略)多大な初期投資を要し、投資の懐妊期間が長い事業等に対し(中略)公私共同企業、いわゆる第三セクターの活用を図る。」。同計画書のなかに数か所第三セクターが使用されている。その後第三セクターは、地域振興のための事業組織体として広く採用された。その代表例がむつ小川原開発株式会社で、石油コンビナート、製鉄所等の大規模臨海工業地帯開発の工業用地造成と分譲をする会社であった。しかし計画どおりに分譲がすすまずに債務超過になり破産した。苫小牧東部開発株式会社も同様の結果を招いた。総務省は毎年「第三セクター等の状況に関する調査」をしている。それによると、①地方公共団体が出資または出捐(出資)を行っている一般社団・財団法人(中略)ならびに会社法法人、②地方住宅供給公社、地方道路公社、および土地開発公社、③地方独立行政法人、(中略)を調査対象としている。同調査によると第三セクターの数は、令和元(2019)年で株式会社幕張メッセ等7,325法人ある。最近の設立法人数は50前後である。第2次臨時行政調査会(昭和58「1983」年)の提言による民営化に加え、民間事業者の能力の活用による特定施設の整備の促進に関する臨時措置法(昭和61[1986]年法律第77号)や総合保養地域整備法(昭和62[1987]年法律第71号)による規制緩和、建設補助、税制上の優遇措置等により、テーマパークやリゾート開発事業等が全国的にすすめられたが、宮崎シーガイア、チボリ公園等が破産した。海外(国際的)には、第三セクターとは、NPO、市民団体等の民間の非営利団体を示し、このような団体を日本では第四セクターと表現することが多い。
(山田國雄)