政府の失敗

 個人の消費が他の消費を妨げることなく(非競合性)、供給された財の消費からどのような消費者も排除されることのない(非排除性)という性質をもった集合財は公共財と呼ばれる。公共財は、市場メカニズムでは満足に供給されないため、政府という非市場的機構によって供給されることになる。たとえば、世界恐慌以降の経済政策として、Keynes,J. M. (ケインズ)の思想に基づき、赤字財政を前提としたうえで国債発行による資金調達を行い、公共事業に投資することが経済活性化に有効であり、失業対策にもなるとされた。だが、効率性や採算に基づかない事業が政治的判断で行われ、莫大な国債発行残高は国家財政の重荷となってしまった。このように、政府の失敗とは、つぎのような問題として捉えられ、ケインズ主義に対する新自由主義の論拠となってきた。それは、①財源が保障され、市場での競争を欠くことから生じる非効率、②政治的圧力による資源配分のゆがみ(レントシーキング:rent seeking)が発生し、たとえば、富裕層や有力者に有利に働く可能性があること、③政府はある行動をとったとき生じるすべての結果を予測できるだけの正確な情報を手に入れることができないかもしれないということ、④最大の人を満足するため、中位投票者(medium voter; Black, D.[ ブラック][1948])を満足させるレベルで公共財を提供するため、さらに高い水準の財や、政治的マイノリティが求めている財が供給されにくく、それらの人々は不満をもつこと(Weisbrod, B. A.[ 1986])である。このため、一方で生じる市場の失敗を勘案し、政策上の問題は市場と政府介入の間の適切な釣り合いをみつけることが必要となる。また、民間営利企業による財の供給が市場の失敗を引き起こすことを前提とし、政府の失敗も克服する存在として、民間非営利組織による財の供給に正当性が求められる論拠にもなっている。民間非営利組織は、利益の非分配制約によって、営利企業と異なり、寄付者などのプリンシパル(主人)に対して、エージェント(代理人)としての役割をよりよく果たすといった説明がなされている(Hansmann, H. B.[1987])。
(金川幸司)