正当性

 一般には「法律・社会通念から正当であると認められる状態にあること」(『広辞苑』第6版)をいう。法律と社会通念とはしばしば異なることから、法律違反ではないが社会通念上正しくない場合は「不当」とされる。この反対概念の「当」や「妥当」も「正当」に近い概念である。特定の文法・プロトコルを前提として、その規則に準拠している場合にも、正当という言葉が使われる。政治学では、「正統性」(legitimacy)概念があり、しばしば混同される。正統性とは、狭義では政治権力が権威として受容される根拠のことを指すが、より一般的に権威の受容根拠としても用いられる。非営利組織で正当性論も、この一般的文脈の場合もある。しかし、特に非営利組織の正当性論は、政府と営利組織との対比において議論される。これらは、大きく分けると、非営利組織が他の類型のアクターが担えないものを補完できるという消極的な価値に基づく議論と、非営利組織は独自の価値をもつとする積極的議論とがある。消極的な価値に基づく議論の典型としては、市場の失敗、政府の失敗それぞれを回避できる有利性をもつ存在として非営利組織の優位性の主張がある。市場の失敗については、たとえば公共経済学では、排除性、競合性がない場合には市場での供給が適切に行われないとされる。財の供給における外部性問題や財の取引における情報の非対称性、過大な取引費用による機能不全、さらには市場の独占や貧富の差の拡大も、市場が社会的厚生をもたらさない「失敗」として位置づけられる。他方、政府の失敗についても、市場のアクターが十分な情報をもっていないのと同様の政府政策の誤りや、それらを構造的にもたらす、組織された利益集団圧力や市民の多様な選好を政府政策に変換する政治過程の特性、市民の公共政策に関与する統治能力のなさ、さらには官僚制の非効率など、多様な議論が提出されている。営利企業が主要アクターである市場と政府とが担えない役割を、非営利組織は担う可能性が見出される。積極的な価値に基づく正当化そしては、政府との比較において「多元性、多様性、能率性、革新性」をもつという主張(Atkinson, G. C[. アトキンソン[]2014])や、民主主義の基盤としての市民的スキル涵養の母体として(Reiser, C. M.[ ライサー][2003])、さらには古典的でもある民衆による統治(デモクラシー)の場であるなどと主張される。サービス提供の効率性に関する市場評価とは異なる価値に基づく。
 非営利組織は、歴史的には相互扶助や共同生活を担う共同体のように、営利企業の発生以前から人類史とともに存在してきたともいえるのであって、あえてその「正当性」を論じる必要はなく、むしろ機能的組織である営利企業や政府は、人間にとって自然的集団形態である非営利組織の機能の一部を担う手段にしかすぎないともいえる。この意味では、非営利組織の正当性を問うこと自体が、市場原理主義や国家主導の社会主義からの視点だという議論も可能であろう。ただし、これらの非営利組織の正当性論は、たんなる説明理論ではない。むしろ第1に、非営利組織のガバナンスの仕組みや規制をどのように構想するか、たとえば株主利益によるガバナンスがサービス受益者にとって否定的効果や信頼性を低下させる効果をもつとすれば、それに代替するガバナンスをどう考えるか(Hansmann,H. B[. ハンズマン][1980]、[1996])、第2に、公益的非営利組織への税制上の取り扱いや助成やそれに伴う規制をどのように構想するか、たとえば、公益の認定の仕組みや情報公開等の規制方法をどう改革するか、第3に、非営利組織が他の組織類型と区別された戦略的優位性をどのように定めるべきか、たとえば、いわゆる「社会的企業」は営利企業形態を含む場合も多いが、それと比較して非営利組織であるからこその戦略的な強みと意義をどのように実現するか、などの実践的課題と結びついている。非営利組織の正当性を問うことは、非営利組織の社会的位置づけを問うことであり、資源分配をめぐる政治過程の一部としても理解されなければならない。
(岡本仁宏)