社会開発

 社会福祉、保健、医療、教育、労働・雇用、住宅など社会の各側面における開発の総称である。人間の能力開発と福祉の向上を目指す概念であり、生産拡大、所得向上を目的とする経済開発に対置する考え方である。その考え方は、1950年代後半に国連での途上国の地域開発をめぐる議論のなかから生まれた。日本でも、高度経済成長の歪みが顕在化しはじめた1960年代に、社会開発の推進が叫ばれた。1970年代以降も、社会開発の考え方は、コミュニティ開発、参加型開発など、第三世界への援助戦略・アプローチの底流に流れ続けた。しかし、市場経済化策を軸とする経済開発が支配的な潮流のもとでは、社会開発は主流とはならなかった。
 この流れが変化したのが、グローバル化が進展した1990年代であった。その背景には、貧困や人口増加、環境問題などの諸問題の広がりと深刻化があった。危機に直面した国連では、人間開発(人間を中心に置く開発)戦略を提起し、社会開発の主流化を図った。1995年には、コペンハーゲンで「国連社会開発サミット」が開催され、社会開発を国際開発援助における最優先課題に位置づける国際合意(コペンハーゲン宣言)がなされた。宣言では、途上国だけでなく、先進国を含むすべての国における都市の貧困撲滅に向け、雇用の創出、投資の促進、社会的統合の推進などが謳われた。また宣言では、行動主体としての市民社会の重要性も提起された。その後、先進国のなかでいち早く世界の貧困削減へのコミットメントを宣言したのはイギリスであった。1997年、ブレア政権のもとで誕生した開発援助庁(DfID)は、「すべての海外援助は貧困削減に集中すべき」と宣言し、困窮者の生計の維持・向上や人間開発等を目指す持続可能な開発政策への支援を約束した。ブレア政権は国内でも、「第3の道」の路線のもと、貧困への新たなアプローチを始めた。貧困の発生原因を経済的要因だけでなく、社会的、文化的要因にも求める社会的排除(social exclusion)の考え方に立って、困窮者の多い衰退地区を対象とする包括的支援プログラム(ABIs:Area-Based Initiatives)を創設した。そしてその推進主体として市民、ボランタリー組織、コミュニティ団体、企業、公的機関、企業、自治体等からなる地域パートナーシップの結成を促した。地域パートナーシップは、“コミュニティ”による社会的包摂(social inclusion)を促す仕組みになるとともに、市民へのエンパワーメントの手段となり、市民ガバナンスの場ともなった。ABIsの代表事例にあげられるのが、NDC(NewDeal for Communities)である。NDCの対象になったイングランドの39の困窮地区では、10年という長期間にわたり、雇用、治安、教育、健康、住宅・住環境の各分野で事業を展開し、貧困問題をはじめとする横断的課題の解決にあたった。NDCの最大の特徴は、コミュニティ主導のプログラム運営にあった。NDCパートナーシップでは、住民代表が意思決定に際して中心的な役割を果たすことを期待された。
(今井良広)