市民社会

 現代では、①社会から政府あるいは国家を除いた社会領域、②非営利団体の形成する社会領域、③社会から営利追求活動と政府活動とを除き、さらに家族を除いた社会領域、④理不尽な強制力を排除して対等平等の市民の織りなす理念的な社会、などを含む多義的概念である。この言葉の核心にある強い意味喚起力が豊かな意味の広がりをもたらしている。市民社会(civil society)は、中世から近世に至るまでラテン語のcivitasの翻訳として、古代的な政治的共同体(ポリス)=国を意味していた。近世に至って、civil societyは、一方ではLocke, J. (ロック)に唱えられたように専制的な政府のあり方から区別された政治社会を意味し始める。他方で、Smith, A.( スミス)に表現されたように、市場を中心とした経済社会が国家から分離し、自立的な社会領域とみなされるに従って、市場領域を中心とした自生的な社会領域全体を指すようになる。この語義は、ドイツ語圏では、burgerlichgesselshaf(t ブルジョワ社会)としての意味を強く帯び、Hegel, G. W. H(. ヘーゲル)の国家・市民社会・家族という3段階構成の概念図式のなかで位置づけられ、Marx, K(. マルクス)を通じて資本主義社会における経済社会とほぼ等置されることとなる。1980年代からは、特に東欧の社会主義政権に対する民主化運動のなかで、国家官僚制による経済支配と市民への監視を克服して自由な社会活動を求める強い希求が、市民社会概念を再生させることとなった。さらにアメリカでの福祉国家批判や社会関係資本(social capital)の衰退への危機感、国内外のNGOの活動の活発化に刺激されて、この概念から営利追求の経済社会が排除されていく。この用法は、さらに限定されて非営利団体の活動を中心とした社会領域を意味する用法にまで展開していくことになる。市民社会概念の全歴史を通じて、市民社会は、「野蛮」と対比される「文明」の領域、暴力ではなく自発的平和的な平等な主体の交際の場としての含意をもった。この点が、市民社会概念の源流をなすポリスの政治社会を外部から隔てるものであったし、近世の絶対王政の恣意的な支配の外部として自生的な市民の(経済的)活動を自覚化させ、さらに東欧社会主義諸国の抑圧的な体制に対するアンチテーゼたらしめたポイントであった。現代の市民社会論も、権力や貨幣の暴力の侵入に対して、自由で自発的なコミュニケーションに基づく秩序形成が育まれる社会領域としての価値関心を核心にもっている。  市民社会概念には、②のように非営利団体を中心として概念化される場合と、民間のコミュニケーション領域、公論の領域を含めて概念化される場合とがある。集団・組織過程とコミュニケーション過程それぞれにおいて、自由な市民の活動領域が、現代市民社会として概念化されている。日本では、20世紀末から21世紀初頭にかけて、世紀転換期に非営利法人制度改革が行われた。宗教法人法の改正(平成7[1995]年公布翌年施行)、医療法人制度改革(第5次、平成17[2005]年公布翌年施行)、社会福祉法人制度改革(平成28[2016]年公布部分施行、翌年完全施行)、中間法人法(平成13年法律第49号)(平成13[2001]年公布、翌年施行)とその廃止(平成20[2008]年)、特活法(平成10[1998]年)および公益法人制度改革関連三法(平成20年)が、主要な改革法である。なお平成11(1999)年公布、平成13年施行の情報公開法(行政機関の保有する情報の公開に関する法律、平成11年法律第42号)は、公論領域としての市民社会に大きな影響を与えている。実態としての非営利団体の活動や公論は存在するけれども、理不尽な強制力を抑止した平等で自由で対等な社会関係の形成という理念的市民社会は決して完成をみることはない。従って、つねに歴史的に変容していくことになろう。市民社会の歴史は、民主主義の歴史でもある。政治や行政を業としない平等な市民の、暴力や貨幣の力に屈しない社会的公共的な活動とその自治に、この概念の焦点がある。この言葉の多様で豊かな可能性は、まだ汲み尽くされていない。
(岡本仁宏)