市民活動

 広義では、市民が行う社会活動一般のことである。辞書的には、「ボランティア活動や非営利のNPO活動など、社会的で公益的な活動。広義には趣味の活動も含む。」(『広辞苑』第7版)とされる。概念的には、市民運動、社会運動、大衆運動、社会活動などの言葉と重なりをもつ。また、多くの地方自治体で「市民活動」支援条例や政策がつくられており、市民活動支援センターの運営や助成等、政策目的との関係で定義されている。市民活動支援が、民間のいわゆる「中間支援組織」によって担われる場合には、それぞれの団体の定款や設立趣旨等において言及されることが多い。市民活動は、第1に、「市民運動」(の概念)との相違と重なりがある。市民活動には、政治運動や社会運動も含まれる。しかし、市民活動は、しばしばフィランソロピーや社会事業と呼ばれる活動、またボランティア活動と呼ばれる活動を含めて、社会サービスの提供に重点がある場合が多い。市民運動も基本的には「市民による自主・自立的で党派横断的な運動」、「市民による自発的な社会・政治運動」(同上)であるが、このような社会サービス提供を行う場合もある。「運動」と「活動」との違いを排他的なものとして、市民活動支援の枠組みから政治活動を一律に排除する場合もあるが適切ではない。市民活動が、持続的に社会サービス供給を担い、特に国家からの助成などを受けて行うことは、国家の社会サービス提供責任や権利保障の責任、また国家による資源供与に伴う規制との関係で歴史的にしばしば問題となった。本来的な市民活動の自発的能動性が国家支配のもとで失われないか、また国家の責任放棄を招かないか、という批判である。とはいえ、協同組合運動のような事業型活動も含め、市民社会セクターの相対的な力量や存在感を向上させる点で、そしてより基本的には直接に事業を行うことで被支援者を直接に支援しその問題状況を深く理解するという点でも、サービス提供の担い手としての役割は重要である。第2に、大衆運動や社会活動とは、主体として「市民」概念を含む点で相違がある。「社会運動」、「社会活動」は、市民運動・市民活動のみならず大衆運動も含むような一般的な、社会における人々の運動や活動である。他方、「大衆」とは、多数の人々の集まりとして社会学ではおもにエリートに対比され、マルクス・レーニン主義では前衛党の指導を受けるものと位置づけられることが多く、それらのニュアンスを背負う。  「市民」は、歴史的には、一方で近代資本主義社会での中産階級や資本家階級をあらわすが、他方で古代ギリシャ以来の、都市国家や国家の正式構成員のことである。現在では、特に後者を継承し、政治共同体の公共空間の形成や業務の遂行に自発的能動性と責任意識をもつ人々の意味で使われることが多い。大衆の、しばしば情動的で主体性をもたない受動的な側面より、市民の、自覚的能動的な活動の担い手としての性格に重点が置かれることは、市民活動概念にとって重要である。この点は、市民活動の行うサービス提供においても、担い手の自発性や非営利形態のみならず、受益者自身のエンパワーメントの視点が不可欠であることとも関連する。  なお、自治体の市民活動支援制度は、特活法の制定期以後が一般的であり、市民活動を、同法の「特定非営利活動」とほぼ変わらないものとする場合が多い。この意味では、「不特定かつ多数のものの利益の増進に寄与することを目的」(特活法2Ⅰ)とする「ボランティア活動をはじめとする市民が行う自由な社会貢献活動」(同法1)である。同法2Ⅱの限定を、自治体政策において「市民活動」定義に含めるかは政策目的による。ただし、公開性、非営利性についても(同法2Ⅱ①)、宗教活動、政治活動の水準についても(同法2Ⅱ②)、同法の限定は決して全面的ではないことに注意が必要である。1989年の冷戦体制の終焉、そして日本では55年体制の終焉によって市民社会において「体制派」か「反体制派」かを問う政治的磁場が緩和され、そこに「市民的公共性」を表現できる空間が拡大した。このことは、市民活動の社会的存在感を高め、特に特定非営利活動促進法を契機に社会的用語として定着させた。もちろん、本来市民は政治的社会的にも能動的存在たる以上、政治状況の変化によって市民的公共性の態様は影響を受ける。市民活動が、90年代以後の展開における社会的存在感の上昇を経て、今後の政治的磁場の変化により市民的公共性の領域をどのように変容させるかは重要である。
(岡本仁宏)