災害ボランティア

 自然災害などが発生したときに、自主的に被災地に駆けつけて、現地事情や被災者に寄り添った活動を行う人たちのことである。なお行政は防災ボランティアと称することがある。その活躍が一躍知られたのは平成7(1995)年1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災である。そのためこの年をボランティア元年と呼ぶ。
 テレビに連日放映されたのは、美しい神戸の港が瓦礫と化し、密集した街並みに火災が巻き起こる異様な光景である。交通網は寸断され、生活インフラが機能しなくなったことは誰の目にも明らかであった。食事や毛布を届けたいと思っても、その手立てがなく、問い合わせる先さえ分からなかった。インターネットの普及はこれから始まるところだった。いつになっても鎮まらない火災と政府の反応の遅さにしびれを切らした人たちが、自家用車やリュックサックに食料品と生活用品を詰め込んで、続々と神戸に向かった。のちに災害ボランティアと呼ばれる人々である。ただ激甚災害の被災地は、未曾有の経験に加えて組織系統が分断され、続々とやってくるボランティアを適切に迎え入れる余力がなかった。せっかく現地入りしたボランティアたちのなかにも戸惑う者が続出したし、被災地に孤立して途方に暮れる者さえあらわれた。助けに来た人が現場で思うような活動ができない姿をみて、ボランティア難民というありがたくない用語までつくられたが、全般的に災害ボランティアの評価はきわめて高く、その人助けの心意気に対する賛辞はもちろんのこと、行政にはできない助力や配慮をしてくれるとして、被災地でも社会一般でも大変好意的に受け入れられた。
 災害ボランティアの活躍は、その後の日本社会のあり方を大きく変えた。阪神・淡路大震災に続いて、ナホトカ号の重油流出事故や東海豪雨災害が発生したが、その都度必ずボランティアが現地にやって来たのである。もはや災害ボランティアは日本文化として完全に定着したといえる。さらに超党派の国会議員たちが手を組んで、ボランティア団体に法人格をもたらす特別法を平成10(1998)年に国会で成立させた。それがNPOブームの引き金になった特活法である。災害ボランティアはNPOブームの火付け役でもあった。 ボランティア元年以降のすべての被災地において、住民の秩序だった行動と治安の良さは、世界中から絶賛された。平成23(2011)年3月11日の東日本大震災では、地域住民の助け合いが、日本国内はもとより、世界の人々を感動させた。
(川野祐二)