公益性

 公益であること、あるいは公益の性質をもつことを指す。公益とは、「国家または社会公共の利益。広く世人を益すること」(『広辞苑』第7版)とされ、私益(および共益)に対置される。幅広い文脈で用いられ、たとえば、現在300以上の法律において用いられているし、用語の使用例も古く、「社会全般の利益」(我妻栄『新訂民法総則』岩波書店、1965年)として自明であるともみなされてきた。しかし、その内容は尽きせぬ論争の対象である。非営利組織にとっては、事業の公益性の社会的承認がその意義を高め、さらに行政によるその認定が税制上有利になる点において言及され、その要件が問われることが多い。日本では、「不特定かつ多数の者の利益」(公益認定法)「不特定かつ多数のものの利益」(特活法)を、公益の別表現とすることが一般的である。この表現自体の妥当性にも議論があるが、具体的に、誰がどのような手続きでどのような要件で判断するのか、が問われる。たとえば、認定特定非営利活動法人の場合には、公益性の認定はアメリカのパブリックサポート・テスト制度を参考にして、団体への多くの人々の寄付がその団体の公益性の証明に代替される。特活法45に認定基準が定められている。公益法人の場合には、イギリスのチャリティ制度を参考にして民間有識者による委員会(公益認定等委員会等)による審議を要件とした認定制度が用いられる。公益認定法5にその「基準」があり、ガイドライン等も含めて認定基準とされている。このようなNPOの公益性認定の制度や基準は、国ごとでかなりの多様性がある。
 公益性は、概念的には、「公(おおやけ)」、「公共性」、「公共の福祉」等と近接する。歴史的に日本語の「公」は、天皇や幕府を意味していた。このような統治者(官)の主張・利益としての公と、民衆全体や公衆に開かれているという意味での公との間には当然対立があった。民主制の導入によって統治者が民主主義的正当性を得た段階においてもこの緊張は存在する。民間非営利団体の表現する公益性(しばしば「市民的公共性」などとも呼ばれる)は、その複数性、多様性、先駆的な実験性、マイノリティの表現などと深く結びついており、行政解釈による公共性や公益性とは異なる広がりをもつ。このことを前提としないと民間団体は、公益性の独占的体現者である行政施策実現のためのたんなる道具になる可能性がある。価値観の多元性が幅広く存在する現代社会においては、このことは一層重要である。
 なお、憲法上の「公共の福祉」概念が個人の人権を制約する根拠として用いられるが、その歯止めをどのように論理内在的に表現するかについて、解釈論が積み重ねられている。民間非営利団体をめぐる公益性論は、市民が積極的に公益を実現するための支援に関係するが、公共の福祉論は全体の利益のための個人の人権制約の論理としての妥当性が問われることが多い。公益の実現は、行政の独占的事業ではなく、市民が表現し担う可能性を認めることこそが、現代における民間非営利活動に公益性をめぐる議論の前提となっている。
(岡本仁宏)