啓発された自己利益

 社会的責任を果たすことは長期的にみると利益に結びつくという考え方である。市場経済において、その行動原理である私的利益の追求が優先されるが、その舞台となる市場を支えるためのバックボーンとして、他人の感情を読みとる共感という概念が1次的に必要とされる。Smith, A.(スミス)によれば、人間というものをどれだけ利己的とみなすとしても、そのなお生まれもった性質のなかには他人のことを心に懸けずにいられない何らかの働きがあり、他人の幸福を目にする快さ以外に何もえるものがなくとも、その人たちの幸福を自分にとってなくてはならないと感じさせる心が共感なのである。共感から導き出される3つの徳がある。それらは、自発的な良心から生まれる「善行」、社会から強制されていることに気付いて行動する「正義」、そして、自己愛の程度を低くする「自制」である。善行とは思いやりや優しさが具現化した行為であり、無理やり引き出すことはできない。つまり、善行は自発的な動機から生まれるので、善行の不足を理由に処罰されることはない。無理してやらなくてよいのが善行であるが、積極的な善行は、社会による賞賛を受けることになる。対照的に、自発的だが不適切な動機から遂行される行為は、社会にとって憤りの対象となり、その憤りは攻撃にもなりうる。共感から導き出されるもう1つの徳が正義である。友情、慈悲、寛容といった徳、つまり、善行はある程度まで自主的な選択にゆだねられている。しかし、正義は法律や商慣行で遵守を義務づけられ、強制されていることを前提とした徳である。正義の侵犯は不正とみなされ、侵犯者は罰を受けることになる。ゆえに、この正義の侵犯が社会において明るみになる前に、自己統治される心がけやリスクの認識が必要になってくる。多くの経済主体は、他者に関することよりも、自分自身にかかわることに強い関心をもっているとされる。特に自尊心の強い人は本心から自分を過大評価し、自分が優秀だと心底信じている。このような心を自制するには、自分自身が社会のなかにおける一般大衆の一員であることに気付いていくこと、つまり、自己愛の強さを引き下げる努力が必要である。この自制という心も徳の1つである。善行、正義、自制という3つの徳を兼ね備え、社会に対して適切、謙虚に行動する経済主体の行動が求められている。啓発された自己利益の根幹は、自由経済下における善行、正義、自制という3つの徳に影響を受けつつある。
(井上善博)