(岡本仁宏)
共同体
人は集団をなして人となった。人は、自らと他者、自分たちと自然との間についても明確な境界線を引くことのない意識の状態から、自然や他者とを意識する状態に進化した。この過程において、自然に形成されてきた群れは共同体であって、社会の基底的な存在として人類史を貫いて存在してきた。このような共同体は、一般的には、情動的な一体性をもち、目的が外部的なものと意識されず、存在することそれ自体が「自然」なものと意識される。このような共同体は、community(英)、communauté(仏)、gesellschaft(独)などの用語で学問的にも対象化されてきた。歴史的推移に伴い、対自然、対他者との関係が意識化されていくに従い、目的をもった個人による自覚的集団が形成される。特に限定された目的達成のための集団は、結社・組織(association)などと呼ばれ、共同体と区別される。他方では、たんなる一時的な集合である群衆とも区別される。近代において、利益目的をもつ営利企業は、株主の結社としての構成をもつ。近代国家は、市民の福祉実現のための目的組織としての契約論的構成をもつ。しかし、企業も国家も、人間集団であるかぎり共同体性をもつし、その意識的利用によって組織強化を図ろうとする。経営家族主義やコーポレイト・フィロソフィー論、ナショナリズムにおける「国民」(あるいは「民族」)共同体の強調は、一般的である。目的的組織の手段的利用ではえられない成員のアイデンティティ形成に関与することによって、組織は一層の忠誠心と一体感を獲得する。逆に家族のようなしばしば「愛の共同体」として理念化され、長期の緊密な共同が必要な集団も、そこに共通の目的を目指す同意・契約に基づく結社的性格を強めている。現代における非営利団体は、営利企業と似て、それぞれの団体の目的(しばしばミッションと呼ばれる)達成のための結社として構成されることが多いが、地縁組織や宗教団体のようにその成り立ちからして共同体性を色濃く残している団体もあるし、人の繋がりによる共感や自己実現が存在意義である場合もあって、単純に目的的結社としてみなすことはできない。これらの共同体・共同体性は、その「共同」やコミューンという名称にもかかわらず、内部に支配関係を含むことも多い。中世の村落支配が共同体秩序を通じて行われたような過去の事例のみならず、フェミニズムが告発したように「愛の共同体」は男性の女性に対する支配の場でもあった。また、共同体は、その情緒的一体性や包括性から、異質な他者の排除が行われやすい。結社であれば、目的に対する同意と貢献によって組織境界線の規範がつくられるが、共同体の場合には同質的共存の「一体感」による排除が正当化されやすい。現代資本主義社会における共同体は、前近代社会と異なり生産や消費、全人格や全人生を包括する場としての完結性をもたない。しかし、現代の社会的孤立等の社会課題に対する政府やNPOによる対応のなかで、「コミュニティづくり」はしばしば課題となる。確かに、特定目的の結社に参加する意欲をもたなくても、何気ない日常のなかでの情動的な繋がりを感じられる人間関係のネットワークニーズをもつ人々は存在するし、その孤立化を防ぐことは大きな課題である。共同体性の表裏を踏まえ、さらに人為的形成の限界を踏まえて多様な社会領域で共同体の培養条件を模索することは、今後も非営利組織論にとって課題であり続けるだろう。