企業市民

 1960年代後半からアメリカの経営者などによって叫ばれるようになってきた考え方である。その背景には、Friedman, M. (フリードマン)に代表される社会貢献批判の論調があった。彼は、企業の社会的責任は利益をあげることであり、企業の社会的貢献という議論は分析のいい加減さと論理の緻密さの欠如を露呈しているだけであるという批判を行った。そして企業が社会的貢献に責任を負えるわけではなく、負えるとすれば個人しかないという議論を行った。これに対して、社会が直面していた麻薬や教育の荒廃や貧困という困難を前にして、企業はたんに利益追求のみにこだわる経済的存在から地域や環境に影響を及ぼす社会的存在であるべきであり、企業は市民としての重要な責任を有するという企業市民(corporate citizen)の考え方が存在していた。この考え方は、企業も市民と同様に社会を構成する一要素であり、応分の負担が求められるという発想である。そして、企業寄付をすることやボランティア活動を行うことが「良き企業市民」としての義務であるという。
 1980年代後半には、日本においても良き企業市民という考え方が少しずつ浸透していった。それはアメリカに進出した日本企業が、現地進出先から企業市民として地域社会に貢献すべきであるという要求を突き付けられることが多くなったという事情がある。こうした現地の声に反応する形で、日本企業も寄付活動やボランティア活動のほか、イベントへの協賛や共同活動などを行うようになっていった。1990年代になり、経済同友会や経団連の提言をもとに、企業市民という言葉が日本でも市民権をえるようになってきた。企業市民活動を構成する要素としては、寄付金、物品やサービスの寄付などのほか、従業員のボランティア支援、コミュニティのイベントの協賛、経営者レベルでのコミュニティ活動、コミュニティ組織への支援などが含まれる。こうした企業市民活動を継続することが、消費者からの信頼獲得、従業員のモラールや忠誠心の向上、コミュニティからの信頼の向上、株主からの高い評価、などに繋がり、最終的には同業他社との競争優位を強めることで業績向上へと繋がっていく。
(佐々木利廣)